Q.西尾市にあったお城は?
西尾城 別名 西条城・鶴城 (西尾市錦城町)
これは当たり前の答えなのですが、まだまだあるんです
荒川城 別名 八ツ面古城 (西尾市八ッ面町)
大永七年(1527年)、東条吉良氏の持清の子の義弘が独立し荒川城を築き、荒川氏を名乗りました。
西尾牟呂城 別名 室城 (西尾市室町上屋敷)
永正年間(1504〜11年)に東条吉良氏の重臣、富永氏の居城として築かれたものです。永禄四年(1561年)の松平元康(徳川家康)の東条城攻めの際、富永伴五郎忠元は討死しています。
徳永城 (西尾市徳永町)
応永年間(1394〜1428年)も頃、徳永小七郎義雄が築城したとつたえられます。
寺津城 (西尾市寺津町)
永正年間(1504〜1511年)の頃、大河内信綱が築城したとされます。最初、東条吉良氏に属しましたが、永禄四年(1561年)に三代秀綱・四代久綱は吉良方として松平元康(徳川家康)と戦い、主家滅亡とともに没落します。
江原城 別名 江原砦 (西尾市江原町)
文明年間(1469〜87年)に江原源太郎忠家が幡豆小笠原氏より別れ、この地に城を築き、江原氏を名乗りました。
小島城 (西尾市小島町)
荒川城主荒川氏の家臣の鷹部屋鉾之助の居城と伝えられます。享禄二年(1529年)に松平清康に破れ落城しました。その後、天文五年(1536年)に松平広忠が室城の出城として修復し、山田七蔵重宗を守将として在城させ、永禄四年(1561年)以降は伊奈忠基・忠家・忠次が居城しました。
浅井西城 別名 西浅井土豪屋敷 (西尾市西浅井町宮下)
安祥城宗家松平氏六代信忠の三男の康孝 (七代:清康・次兄:信孝)が大永元年(1521年)頃入りました。康孝死後、信孝の持城となり、信孝が宗家岡崎城の広忠に敵対し、敗れました。 |
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ポスト!PART2!
天王町にもありましたっ!
真っ赤なポスト!
いつまでもそのままで・・(願) |
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瓦っ!PART3!
この瓦は八のマークが付いています
これは本町の油八さん。 |
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ここが!原点!
「西尾町道路元標」
康全寺のとなりに突如現れた看板には西尾道路元標と書かれていました。
そのとなりのベンチの横にお墓のような石。これが「道路元標」
大正9年に各市町村の起点を示すものとして建てられたようです。
町の県道・町道の原点を示す標識であり、当時の西尾の中心地であったことを示しています。
そうです。ここが西尾の「へそ」なのです。 |
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茅の輪神事 (伊文神社)
茅の輪神事(ちのわしんじ)とは、人がくぐれる大きさの茅の輪を左・右・左と8の字に廻る事で夏病をはじめあらゆる病や厄災を取り除くと云われています。
もっと詳しく |
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雲母「きらら」
西尾周辺の山々は古くから雲母の産地で有名でした。八ツ面山の雲母は良質で和銅6年(713年)に三河より朝廷に献じたとされています。
鎌倉時代に三河国守護に任命された足利義氏が今の西尾に下った時に産物である雲母「きらら」から文字を選んで名字を改めたのが吉良氏の起こりです
明治になり、需要が減り、発掘に犠牲者が出たなどの理由から発掘は中止されました。
その頃より、この地の陶工、加藤熊蔵氏の手により「きらら鈴」が作られ、犠牲者の霊を慰めるために木の下にぶら下げ慰霊をしたという言い伝えがあります。 |
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西尾高女跡
西尾駅の東側に「県立西尾高女ここにありき」という石碑があります。
ここは愛知県西尾高等女学校があった場所です。
大正7年に西尾町立西尾高等女学校として設立され、大正12年に愛知県西尾高等女学校と改称、のち西尾高等学校と合併されました。
その当時からある「せんだんの木」がちょうど今の時期(5/29現在)花を咲かせています。
木の下ではとってもいい香りがします。今の時期だけのおすすめスポットですね。 |
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岩瀬弥助の大燈篭
伊文神社には岩瀬弥助より寄付された大燈篭があります。
現在は移転の為にバラバラとなっていますが、名前を残すという事に関心の無かった「岩瀬弥助」の名前が刻まれている貴重なものです。
岩瀬弥助といえば、西尾市岩瀬文庫の創始者であり、西三河を代表する実業家の一人です。一代で莫大な財を築き、西尾町長、西尾鉄道の初代社長もされていました。 |
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結び井桁
西尾市の市章である結び井桁、旧西尾城主大給松平氏の道中目印として使用していたものと伝えられています。旧西尾町が明治22年に町制施行以来使用していたものを昭和28年に市制施行後も使用し昭和40年に市章として定められました。 |
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ポスト
今では貴重な形のポストが本町にはあります。
本町の道路改修後も健在していてほしいと個人的に思っています。。。笑 |
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常夜鐙
康全寺の門の横にひっそりと立っている巨大な常夜鐙、立派なものです。
西尾市資料館の松井氏の話によると今の本町、交差点の真ん中に立っていたものだそうです。それを康全寺に移転したそうですが、本町を照らし続けた常夜灯、使わなくなったとはいえ、公衆トイレの後ろでは・・・(-
-; |
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ナヌ?
これは何でしょう?
本町でモダンな建物「天野邸」
が取り壊しになるということで
中を除いてみると発見しました!
なんと!消火器!
こんな形、始めて見た・・・。 |
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象の彫り物
須田町の浄賢寺さんの本堂と
鐘楼にはなんと!
”象の彫り物”があります。
非常に珍しいものですね。 |
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瓦っ!PART2!
またもや面白い瓦を発見!
これは吾妻町の大岡屋さん。
○にケで屋号の「マルケ」のマーク
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肴町
今でも当時の面影が残っている肴町の昭和初期の写真
当時「西尾の市」というものがあり
賑わっていました。
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ちょうちんパレード4
仮面ライダー登場!
後ろに写っているのは、本町から巣立っていったユーキチ(今のドミー)、紳士服のトリイ
現在、手元にある写真はここまでですが引き続き調査しております。。。(^^; |
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ちょうちんパレード3
本町発展会のトラックに
ロケットを乗せて!
運転しているのは今は亡き
マルサイさんのおじいさんの
若かれし姿。 |
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ちょうちんパレード2
これはっ!機関車トーマスもびっくり
1960年のパレード
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←2003年
のトーマス
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ちょうちんパレード
これはそのもっとも古い写真かも・・・
仮装と出し物が入り乱れてのパレードです。出し物にはお店の名前が書いてある事から各お店ごとに参加していたようです。 |
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橋の名は
二條橋、三條橋、四條橋、
五條橋、六條橋
みどり川に架かっている橋の名前です。
京都を意識していたかどうかは不明ですが古いもので大正時代に作られています。
どれが何処にあるかは、歩いて探してみてください。疲れます。。。
(自転車が必要です)
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一つ葉葵
西尾城主松平家の家紋は一つ葉葵。
この瓦は西尾城に使われていた物と推察されます。徳川家は三ツ葉葵、松平家の新屋です。
この瓦ははと屋さんのお宝
本町 みそたまり/ はと屋 |
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なんだぁ?これは?
本町から塩町に抜ける路地にて、ますやさんの建物を眺めていると窓の外に作られた流しが見えます。これは昔からのもので、非常に珍しい。。。
本町 紅茶/ますや彦坂 |
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歴史の西尾小学校
西尾小学校は江戸時代西尾藩校からの歴史を持つ学校です。現校舎の正面建物デザインは昔のデザインを採用していますが、今も正門の隅に昔の校舎の一部がひっそりと佇んでいます。造られた年代はちょうどあの井桁屋ビルと同時期。どこか大正デモクラシーを感じさせるデザインです。 |
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鬼瓦に「〒」マーク!
鶴ヶ崎町にある旧西尾郵便局の鬼瓦
なんと「〒」のマークがついているのです。
市内で唯一現存する明治官庁建築だそうです。
どうなる?郵政民営化?・・笑
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西尾は六万石の城下町。
これは大給松平氏が藩主になり、福井県の朝日町など飛び地を加増され、これを合算しての数字です。ちなみに岡崎が五万石です。
承久の乱(1221)の戦功により三河国の守護に任じられた足利義氏が築城した西条城がはじまりと伝えられます
写真は再建された丑寅櫓
もっと詳しくはdenbei9th氏のブログで |