小島竜宮「竜宮の膳椀伝説」

安城市野寺の本証寺にある竜燈池は矢作川を隔てた小島の竜宮と川底でつながっているといわれていました。ある時、野寺の和尚が寺の行事で膳椀が必要になり、竜宮の竜神にたのむと必要な数の膳椀が竜燈池に浮かび上がりました。ある年、一組分の膳椀を返さなかったところ、それ以後出なくなってしまいました。この一組の膳椀は、現在も野寺の寺宝として伝わっています。

「なぞかけ松」(虚無僧松)

♪西尾八ツ面山〜謎かけぇ〜サノヨイトサノサノサノサノ松よ〜♪

幕末、岡崎城下の武士植村主税と娘お夏が恋に落ちました。ところが二人の父親同士は犬猿の仲、二人はかなわぬ恋のため、菅生川に身を投げましたが、主税だけが生き残りました。彼は虚無僧に姿を変えて西尾にやってきました。美しい松の木の下で休んでいると、川面に映った松の影に恋しいお夏の幻が見えたため、彼は身をなげてしまいました。以来、この松は虚無僧松と呼ばれるようになり、いつしか 呼び名が「なぞかけ松」へと変わりました。悲しい恋物語の伝説を残すこの松は野口雨情によっ て 「西尾小唄」の中に取り上げられました。現在は、初代なぞかけ松の姿はなく、三代目の松があります。



ドライブスルーなポスト(続) (須田町)

なんと!緑色になっていました!

刈宿の大仏と閻魔像
西尾市には、コンクリートで作られた大仏(昭和3年)と閻魔像(昭和4年)があります。この大仏は「後藤鍬五郎」というコンクリ造形師が作ったとされ、閻魔像は大仏の世話役だった「澤常吉」という人が見よう見まねで大仏を参拝に行く人を驚かせようと作ったらしいのですが、クオリティの無さに閻魔像だけは「後藤鍬五郎」が手直ししたとされています。



ドライブスルーなポスト (須田町)


井桁屋公園内にある井桁屋の大理石の看板





公園は外から見たことはあるんだけど・・・汗
奥に入っていくと大理石の看板のモニュメントがあります。
ぜひ、ご覧あれ〜〜〜

みどり川の四条橋横の石碑

「念じれば花ひらく」という碑をどこかで見たことありませんか?
この「だいじょうぶ碑」は2005年に逝去された杉浦祖玄さんという方の碑です。

西尾市内であきちゃんラーメンを営業するかたわら、お店の裏に大潤禅堂を建て、座禅を指導して、数々の人を「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と励まし、詩人でもあり、西尾市内にいくつかの碑を、そして五大陸各地に「念じれば花ひらく碑」を健立されました。




雅楽頭酒井家の家紋
家紋?(吾妻町)訂正

この瓦、西尾城のものらしいという”うわさ”を聞いて吾妻町へ、よく見れば家紋らしきものが付いているじゃないですかぁ!

西尾城主であった酒井家の家紋を調べると、雅楽頭(うたのかみ)酒井家の家紋を発見!片喰紋と言いまして、一族や子孫は装飾を加えて「丸に片喰」や「丸に剣片喰」などの家紋になったそうです。
で、西尾城のモノであろうと勝手に推測した訳なのですが、実はこの家、本町のはと屋さんが所有する家で、はと屋さんの家紋が「丸に片喰」。。。はと屋さんの家の瓦でした。。。(^^;

「丸に片喰」

聖運寺にある?(中町)

聖運寺の山門の向かって左側にある
土蔵の前に建てられた石碑。
よく見なければ見落としてしまいそうな
その上には
何やら”爆弾”がっ!
昔の漢字まったく解読できずに
写真だけ撮ってきました。
不発弾なんでしょうか?

聖運寺のイブキ(中町)

ヒノキ科
根囲り4.1m
胸高囲2.45m
樹高15m
枝張り12.3m
西尾市指定の天然記念物だそうです。
肝心の樹齢は。。。汗

次郎長一家(前列中央が清水次郎長)

清水一家二十八人衆
森の石松・増川仙右エ門・大瀬の半五郎・法印の大五郎追分の三五郎・桶屋の吉五郎・大野の鶴吉・問屋場の大熊・お相撲の常・三保の松五郎・伊達の五郎・小松村の七五郎・関東の丑五郎・田中の敬次郎・辻の勝五郎・四日市の敬太郎・舞阪の富五郎・寺津の勘三郎・國定の金五郎・吉良の勘蔵・伊勢の鳥羽熊・ 清水の岡吉・興津の盛之助・小川の勝五郎・由比の松五郎・吉良の仁吉・大政・小政......以上二十八名
清水の次郎長親分

いったい何のつながりが・・・?

実は次郎長は三河の寺津(西尾市寺津町)で今天狗と異名をとる治助の元で世話になりながら、元武士であった吉良の武一に剣術を学び、博打の修業を積んでいたんだそうです。

寺津の治助とは寺津一家初代。2代目寺津の間之助の元にも幾度も訪れています。間之助清水の次郎長とは兄弟分

吉良の仁吉吉良の勘蔵(吉良町)はご存知”清水一家二十八人衆”

もう一人寺津の勘三郎という人もいるのですが詳しい事は解りません。きっと寺津は寺津ですから・・・笑

Q.西尾市にあったお城は?

西尾城 別名 西条城・鶴城  (西尾市錦城町)

これは当たり前の答えなのですが、まだまだあるんです

荒川城  別名 八ツ面古城  (西尾市八ッ面町)

大永七年(1527年)、東条吉良氏の持清の子の義弘が独立し荒川城を築き、荒川氏を名乗りました。

西尾牟呂城  別名 室城  (西尾市室町上屋敷)

永正年間(1504〜11年)に東条吉良氏の重臣、富永氏の居城として築かれたものです。永禄四年(1561年)の松平元康(徳川家康)の東条城攻めの際、富永伴五郎忠元は討死しています。

徳永城   (西尾市徳永町)

応永年間(1394〜1428年)も頃、徳永小七郎義雄が築城したとつたえられます。

寺津城   (西尾市寺津町)

永正年間(1504〜1511年)の頃、大河内信綱が築城したとされます。最初、東条吉良氏に属しましたが、永禄四年(1561年)に三代秀綱・四代久綱は吉良方として松平元康(徳川家康)と戦い、主家滅亡とともに没落します。

江原城
  別名 江原砦 (西尾市江原町)


文明年間(1469〜87年)に江原源太郎忠家が幡豆小笠原氏より別れ、この地に城を築き、江原氏を名乗りました。

小島城
  (西尾市小島町)


荒川城主荒川氏の家臣の鷹部屋鉾之助の居城と伝えられます。享禄二年(1529年)に松平清康に破れ落城しました。その後、天文五年(1536年)に松平広忠が室城の出城として修復し、山田七蔵重宗を守将として在城させ、永禄四年(1561年)以降は伊奈忠基・忠家・忠次が居城しました。

浅井西城  別名 西浅井土豪屋敷  (西尾市西浅井町宮下)

安祥城宗家松平氏六代信忠の三男の康孝 (七代:清康・次兄:信孝)が大永元年(1521年)頃入りました。康孝死後、信孝の持城となり、信孝が宗家岡崎城の広忠に敵対し、敗れました。

ポストPART2!

天王町にもありましたっ!
真っ赤なポスト!
いつまでもそのままで・・(願)

瓦っ!PART3!

この瓦は八のマークが付いています
これは本町の油八さん。




ここが!原点!

      「西尾町道路元標


康全寺のとなりに突如現れた看板には西尾道路元標と書かれていました。
そのとなりのベンチの横にお墓のような石。これが「道路元標」

大正9年に各市町村の起点を示すものとして建てられたようです。

町の県道・町道の原点を示す標識であり、当時の西尾の中心地であったことを示しています。

そうです。ここが西尾の「へそ」なのです。

茅の輪神事 (伊文神社)

茅の輪神事(ちのわしんじ)とは、人がくぐれる大きさの茅の輪を左・右・左と8の字に廻る事で夏病をはじめあらゆる病や厄災を取り除くと云われています。



雲母「きらら」

西尾周辺の山々は古くから雲母の産地で有名でした。八ツ面山の雲母は良質で和銅6年(713年)に三河より朝廷に献じたとされています。

鎌倉時代に三河国守護に任命された足利義氏が今の西尾に下った時に産物である雲母「きらら」から文字を選んで名字を改めたのが吉良氏の起こりです

明治になり、需要が減り、発掘に犠牲者が出たなどの理由から発掘は中止されました。

その頃より、この地の陶工、加藤熊蔵氏の手により「きらら鈴」が作られ、犠牲者の霊を慰めるために木の下にぶら下げ慰霊をしたという言い伝えがあります。



西尾高女跡

西尾駅の東側に「県立西尾高女ここにありき」という石碑があります。

ここは愛知県西尾高等女学校があった場所です。

大正7年に西尾町立西尾高等女学校として設立され、大正12年に愛知県西尾高等女学校と改称、のち西尾高等学校と合併されました。

その当時からある「せんだんの木」がちょうど今の時期(5/29現在)花を咲かせています。

木の下ではとってもいい香りがします。今の時期だけのおすすめスポットですね。



岩瀬弥助の大燈篭

伊文神社には岩瀬弥助より寄付された大燈篭があります。

現在は移転の為にバラバラとなっていますが、名前を残すという事に関心の無かった「岩瀬弥助」の名前が刻まれている貴重なものです。

岩瀬弥助といえば、西尾市岩瀬文庫の創始者であり、西三河を代表する実業家の一人です。一代で莫大な財を築き、西尾町長、西尾鉄道の初代社長もされていました。

結び井桁

西尾市の市章である結び井桁、旧西尾城主大給松平氏の道中目印として使用していたものと伝えられています。旧西尾町が明治22年に町制施行以来使用していたものを昭和28年に市制施行後も使用し昭和40年に市章として定められました。

ポスト

今では貴重な形のポストが本町にはあります。

本町の道路改修後も健在していてほしいと個人的に思っています。。。笑

※郵便局に保存されていたのですが無くなってしまったそうです・・・?

常夜鐙

康全寺の門の横にひっそりと立っている巨大な常夜鐙、立派なものです。

西尾市資料館の松井氏の話によると今の本町、交差点の真ん中に立っていたものだそうです。それを康全寺に移転したそうです。

ナヌ?

これは何でしょう?
本町でモダンな建物「天野邸」
が取り壊しになるということで
中を除いてみると発見しました!

なんと!消火器!

こんな形、始めて見た・・・。

象の彫り物

須田町の浄賢寺さんの本堂と
鐘楼には
”象の彫り物”があります。

瓦っ!PART2!

またもや面白い瓦を発見!
これは吾妻町の大岡屋さん。

○にケで屋号の「マルケ」のマーク

肴町

今でも当時の面影が残っている肴町の昭和初期の写真
当時「西尾の市」というものがあり
賑わっていました。

ちょうちんパレード4

仮面ライダー登場!

後ろに写っているのは、本町から巣立っていったユーキチ(今のドミー)、紳士服のトリイ

現在、手元にある写真はここまでですが引き続き調査しております。。。(^^;
ちょうちんパレード3

本町発展会のトラックに
ロケットを乗せて!

運転しているのは今は亡き
マルサイさんのおじいさんの
若かれし姿。
ちょうちんパレード2

これはっ!機関車トーマスもびっくり
1960年のパレード
←2003年
  のトーマス
ちょうちんパレード

これはそのもっとも古い写真かも・・・
仮装と出し物が入り乱れてのパレードです。出し物にはお店の名前が書いてある事から各お店ごとに参加していたようです。

橋の名は

二條橋、三條橋、四條橋、
五條橋、六條橋

みどり川に架かっている橋の名前です。
京都を意識していたかどうかは不明ですが古いもので大正時代に作られています。

どれが何処にあるかは、歩いて探してみてください。疲れます。。。
(自転車が必要です)

一つ葉葵

西尾城主松平家の家紋は一つ葉葵。
この瓦は西尾城に使われていた物と推察されます。徳川家は三ツ葉葵、松平家の新屋です。

この瓦ははと屋さんのお宝

本町 みそパーク

なんだぁ?これは?

本町から塩町に抜ける路地にて、ますやさんの建物を眺めていると窓の外に作られた流しが見えます。これは昔からのもので、非常に珍しい。。。

本町 紅茶/ますや彦坂

歴史の西尾小学校

西尾小学校は江戸時代西尾藩校からの歴史を持つ学校です。現校舎の正面建物デザインは昔のデザインを採用していますが、今も正門の隅に昔の校舎の一部がひっそりと佇んでいます。造られた年代はちょうどあの井桁屋ビルと同時期。どこか大正デモクラシーを感じさせるデザインです。

鬼瓦に「〒」マーク!

鶴ヶ崎町にある旧西尾郵便局の鬼瓦
なんと「〒」のマークがついているのです。

市内で唯一現存する明治官庁建築だそうです。



西尾は六万石の城下町。

これは大給松平氏が藩主になり、福井県の朝日町など飛び地を加増され、これを合算しての数字です。ちなみに岡崎が五万石です。

承久の乱(1221)の戦功により三河国の守護に任じられた足利義氏が築城した西条城がはじまりと伝えられます

写真は再建された丑寅櫓



瓦っ!

普段、まったく気にしないで
見ている瓦なのですが
凄いものを発見しました。

本町のマルサイさん。なんと!
瓦に「マルサイ」のマークがっ!

この瓦、今のものとはサイズが違っているそうで、数年前に数枚割れた時に代わりがなく直すのに苦労したとか。。

それにしても瓦のこの部分にまで屋号をいれるなんて、当時の勢いというものを感じます。


本町 フルーツ/マルサイ





んん・・・?

何やら須田町に木製の看板出現!
しかし、いつも閉まっている・・・。

町屋の調査で散歩していると何やら人影が!

ここは「手織三河木綿保存会」の皆さんが運営する「三河木綿手織り工房」今年の2月にOPENしたそうです。

毎週水曜日AM10:00〜PM4:00のみ営業しているそうで、だからいつも閉まってるなんて思っちゃってたんですね。

西尾は木綿の発祥の地と伝えられているそうで、まさにヘェ〜!

希望者には機織体験も出来るそうです。[要予約・参加費用1500円]

須田町  「三河木綿手織り工房」
         0563-56-9075